怒ってくれる人は味方だと考える。成長のための痛みだと思え!
怒ってくれる人は味方だと考える。
あなたは怒られるのが好きだろうか?
好きなわけあるかーい!!
僕の周りでそんな人間を僕はみたことがないので、大抵の人は嫌いなのではないでしょうか?
怒られたー、やる気でてきたー、なんて超人またはドMな人間はなかなかいないですよね。
もしくはそんなドMな方はこのブログを読まなくてよいと思うので、この話は怒られるのが嫌いな人向けの内容だとご理解ください。
僕はよく怒られる
まず僕の自己紹介を少しさせてください。
大手メーカに勤務する中堅社員で係長職についている。
係長というと課長から怒られるイメージが強いが、なぜか課長を飛び越えて、部長からよく怒られる。とほほ。
実は部長が課長時代からの上司なこともあり、良くも悪くも目をかけられているのが理由だ。
なのでいきなり課長をすっ飛ばして雷が僕に落ちることがある。
ということか、課長が避雷針になることはあまりない。
怒られる理由パターンとして多いのは、説明が下手なことだ。
説明が下手というのは、相手が理解することにストレスを感じている状態である。
つまり何を言っているのか理解できないか、または理解するために相手の頭をフル稼働させてしまう必要がある。
平たくいうと、お前の話は聞くと疲れると言う状態だ。
確かに自分自身でも説明が下手だと思うことがあるので怒られても致し方がない部分もあるにはある。昨今はすっかり欧米式の考え方であり、コミュニケーションは受け手より話し手側に責任がある。
なので、真面目な僕は、TED等々のプレゼン術の本を買っては、プレゼンとは?という基礎から学び直し努力している。しかし、効果が出ているのか、出ていないのか微妙というのが率直な感想。
というのも、プレゼンの仕方のテクニックは身についていると思うが、説明がうまくできないときというのは、内容が複雑すぎて自分でも理解が十分にできていないときが多く、それを人にうまく説明などできるはずがないパターンが多いからだ。
つまり無理ゲー。
この無理ゲーをクリアするには、複雑なものごとの本質をつかみ簡単な言葉にする、ファインマン顔負けの能力を身に着けるか、もしくは、適当にものごとを単純化し、説明が難しい箇所は端折るしかないのである。しかし、ファインマン顔負けの能力など一朝一夕に身につくはずもないので、後者の一択。難しい話は端折るで生き残るしかないが、それはそれでなかなか問題がある。
さらにやっかいなのは説明下手にもかかわらず、リーダー業務を担当することが多い上司への説明する機会が多いのだ。説明能力が低いのに、説明力を要求される機会が度々あり、結果、周囲から期待されるより説明能力が圧倒的に低いので、雷が落ちるのである。
僕の説明の最中、皆さんの疑問がもくもく雨雲のようにたちこめているのが可視化できそうなものである。
ただし、説明ができていなくても、結果が出ているのであれば、まあ、説明は下手だったがこんな感じのことが言いたかったんだよね、といわれて笑い話にでもなるが、僕は、複数のプロジェクトを掛け持ちでやっているので、中には思うように成果が出ていないプロジェクトも勿論ある。
そんなこんなで、怒られるチャンスが多いため、雷は頻繁に落ちる。
雷が落とされたとき、僕は相当凹む。
しかし、何故か周りからは怒られても全然凹まないような人間に勘違いされており、精神力がすごい、機関銃で撃たれても前に進むやつだとか言われる。実際ははめっちゃ凹んでいて、夜な夜な一人ごとで叫んだり、枕を涙で濡らしたりしているのだが、それが伝わらないのはいいことか悪いことか。
#常識の範囲の叫び
#音量は枕でカバー
雨降って地固まる、とかの前に、怒られると生産性が落ちるという悪循環
周囲の人に伝わるかどうかの問題は、いったん脇へおいて置けたとしても、凹むと生産性が落ちるという問題はなかなか脇に置くわけにもいかず、なんとかしたいなあと思っていて色々調べた中で、これはいい、と膝を打った話があるので今日のブログで紹介する。
ちなみに凹むと生産性が落ちるのは、頭の片隅に悩み事が常にあると状態だと、PCでいうところの別タスクを起動しながらの作業になり、要はマルチタスクになるためであると推測している。常に頭の片隅にあるような悩みは絶対にない方がいい。
そのため、怒られてもこっちが気にしなければいいという考え方で頑張ってきた。
つまり相手の負の感情を受け取られなければ、怒っている人の罵声は単なる大声である。スピーカーの音量を間違えられたくらいでいい。
直すべきとこだけ、さっさと直す努力をして相手が怒っていたというところは気にしないという完全なムシムシ作戦である。
これはいい方法だが、欠点がめちゃくちゃあって、無視するにも限度がある!
無視するたびに元気が削られてきて、閾値以下になると、もう耐えられないのだ。
つまり、根本的な解決に全然ならない。
体調がよくてオラオラモードになっていると気にしないが、夜一人で静かになると急に記憶が呼び起こされ、凹み出してしまう。ブッタの教えしかり、気にしない精神力を鍛錬を積み身につけようと思っていたがすぐにはうまくいかない。
このときからそもそも、人間ってなんで怒られると凹んだり嫌な気持ちはなるのだろうかと考えていて中々答えが出なかった。
そんなときに出会ったのが思わず膝を打った考えである。
怒られるということの意味変だ。
怒られることを意味変する。積極的誤解!
味変はよく聞くけど、意味変って何?という方や、ジミヘンはよく聞くけど、意味変って何?という方は、膝を打つ準備をしていただきたい。
意味変とは意味を変える、言葉の定義を変えるのである。
つまりは、積極的誤解!
まず、怒られるのが嫌な人は怒られている=攻撃されていると捉えるのである。
人格批判、能力批判、そういう風に捉える。
批判や攻撃されていると考えるのだから嫌に気持ちになり、凹み、逆に憤るのも当然だ。
ではどのように意味変すればいいか?
答えは怒られるというのは攻撃ではなく、自分のことを思っての行動だと意味変する。
自分が足りない箇所を指摘してくれているのだ。
本当に嫌いな人間にであれば指摘はしない。
理由は面倒だからだ。
怒られ、悪いところを修正するというのは明らかにプラスになる。
プラスになることを嫌いな人にはしない。
成長しないように放置する。
あなたもそうではないか?
怒って指摘するのは結構体力がいる。
なのでこいつはもうどうしようもないなと思えば、怒ることはやめるのではないか。
そう怒られた時は期待されている、またはアドバイスしてくれていると考える、もっというと味方であると考える。
相手は敵ではない。
そう考えたら大分仕事が気楽になった。
あなたも、もし同じであれば意味変をお勧めしたい。
ちなみに怒るという感情は困っている、という気持ちから起こるらしい。
なので、怒っている人には、きっと僕を後継者にしたいが、後継にするには不足するところがあるので困っているのだ、と考えるのがよさそうだ!
ちなみに過去に感情的になってしまう人への話を書いた記事はこちら。
精神医 水島広子さんの本をもとに怒りについてブログに書いているので、ご興味のある方は、こちらもお読みください。
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