STUDY JUICE ~5minitus hacks~

コスパよく学びたい人のための学びのジュースみたいなブログ

RPA導入を進めることのメリット

僕は某メーカーで生産技術の仕事をしている。

 

今は工場の直接作業へのRPA導入による工数削減に興味があってすすめている。

RPAでソフトウェアロボットを動かして、直接検査工数を削減するというのはこれから主流になってくるのではないだろうか。

 

RPA導入でいい点は、直接工数削減だけでなく、現場の人に説明する手間(間接業務)についても削減できることである。

 

現場の人への説明は、結構時間がかかるし、人それぞれ考え方の癖があって、書いてあることをそういう風に誤解するのか、いやたしかにそうもとれるけどさ、みたいなことが多々あり、なかなか説明の時間がかかる。

 

なのでRPAを導入したら細かい手順書も削減できて、説明の時間も削減できるので、直接工数だけでなく間接業務の時間も減らすことができる。さらに手順書作る時間も削減できるのでなおいいのである。

 

しかし、何でも何でもRPA出来るわけではない。

RPAの得意不得意の領域を見極め、どこへ導入するのがよいか考える必要がある。

導入に失敗している企業はそこを蔑ろにしているそうだ。

一つ一つ、きちんと考える。

工程を理解する。

まずはそこから始める。

泥臭いがそこを必ず通らなければ、RPAは失敗する。

 

面倒くさい泥臭いことは嫌煙されがちだが、こういう事が高度なことを実現するときに非常に大事である。

 

怒ってくれる人は味方だと考える。成長のための痛みだと思え!

怒ってくれる人は味方だと考える。

あなたは怒られるのが好きだろうか?

 

好きなわけあるかーい!!

 

僕の周りでそんな人間を僕はみたことがないので、大抵の人は嫌いなのではないでしょうか?

怒られたー、やる気でてきたー、なんて超人またはドMな人間はなかなかいないですよね。

もしくはそんなドMな方はこのブログを読まなくてよいと思うので、この話は怒られるのが嫌いな人向けの内容だとご理解ください。

 

 

僕はよく怒られる

まず僕の自己紹介を少しさせてください。

大手メーカに勤務する中堅社員で係長職についている。

係長というと課長から怒られるイメージが強いが、なぜか課長を飛び越えて、部長からよく怒られる。とほほ。

実は部長が課長時代からの上司なこともあり、良くも悪くも目をかけられているのが理由だ。

なのでいきなり課長をすっ飛ばして雷が僕に落ちることがある。

ということか、課長が避雷針になることはあまりない。

 

怒られる理由パターンとして多いのは、説明が下手なことだ。

説明が下手というのは、相手が理解することにストレスを感じている状態である。

つまり何を言っているのか理解できないか、または理解するために相手の頭をフル稼働させてしまう必要がある。

 

平たくいうと、お前の話は聞くと疲れると言う状態だ。

 

確かに自分自身でも説明が下手だと思うことがあるので怒られても致し方がない部分もあるにはある。昨今はすっかり欧米式の考え方であり、コミュニケーションは受け手より話し手側に責任がある。

なので、真面目な僕は、TED等々のプレゼン術の本を買っては、プレゼンとは?という基礎から学び直し努力している。しかし、効果が出ているのか、出ていないのか微妙というのが率直な感想。

というのも、プレゼンの仕方のテクニックは身についていると思うが、説明がうまくできないときというのは、内容が複雑すぎて自分でも理解が十分にできていないときが多く、それを人にうまく説明などできるはずがないパターンが多いからだ。

 

つまり無理ゲー。

 

この無理ゲーをクリアするには、複雑なものごとの本質をつかみ簡単な言葉にする、ファインマン顔負けの能力を身に着けるか、もしくは、適当にものごとを単純化し、説明が難しい箇所は端折るしかないのである。しかし、ファインマン顔負けの能力など一朝一夕に身につくはずもないので、後者の一択。難しい話は端折るで生き残るしかないが、それはそれでなかなか問題がある。

 さらにやっかいなのは説明下手にもかかわらず、リーダー業務を担当することが多い上司への説明する機会が多いのだ。説明能力が低いのに、説明力を要求される機会が度々あり、結果、周囲から期待されるより説明能力が圧倒的に低いので、雷が落ちるのである。

 僕の説明の最中、皆さんの疑問がもくもく雨雲のようにたちこめているのが可視化できそうなものである。

 ただし、説明ができていなくても、結果が出ているのであれば、まあ、説明は下手だったがこんな感じのことが言いたかったんだよね、といわれて笑い話にでもなるが、僕は、複数のプロジェクトを掛け持ちでやっているので、中には思うように成果が出ていないプロジェクトも勿論ある。

 

 そんなこんなで、怒られるチャンスが多いため、雷は頻繁に落ちる。

 

 雷が落とされたとき、僕は相当凹む。

 しかし、何故か周りからは怒られても全然凹まないような人間に勘違いされており、精神力がすごい、機関銃で撃たれても前に進むやつだとか言われる。実際ははめっちゃ凹んでいて、夜な夜な一人ごとで叫んだり、枕を涙で濡らしたりしているのだが、それが伝わらないのはいいことか悪いことか。

#常識の範囲の叫び

#音量は枕でカバー

 

 

 

雨降って地固まる、とかの前に、怒られると生産性が落ちるという悪循環

周囲の人に伝わるかどうかの問題は、いったん脇へおいて置けたとしても、凹むと生産性が落ちるという問題はなかなか脇に置くわけにもいかず、なんとかしたいなあと思っていて色々調べた中で、これはいい、と膝を打った話があるので今日のブログで紹介する。

ちなみに凹むと生産性が落ちるのは、頭の片隅に悩み事が常にあると状態だと、PCでいうところの別タスクを起動しながらの作業になり、要はマルチタスクになるためであると推測している。常に頭の片隅にあるような悩みは絶対にない方がいい。

 

そのため、怒られてもこっちが気にしなければいいという考え方で頑張ってきた。

つまり相手の負の感情を受け取られなければ、怒っている人の罵声は単なる大声である。スピーカーの音量を間違えられたくらいでいい。

直すべきとこだけ、さっさと直す努力をして相手が怒っていたというところは気にしないという完全なムシムシ作戦である。

 

これはいい方法だが、欠点がめちゃくちゃあって、無視するにも限度がある!

無視するたびに元気が削られてきて、閾値以下になると、もう耐えられないのだ。

つまり、根本的な解決に全然ならない。

 

体調がよくてオラオラモードになっていると気にしないが、夜一人で静かになると急に記憶が呼び起こされ、凹み出してしまう。ブッタの教えしかり、気にしない精神力を鍛錬を積み身につけようと思っていたがすぐにはうまくいかない。

 

このときからそもそも、人間ってなんで怒られると凹んだり嫌な気持ちはなるのだろうかと考えていて中々答えが出なかった。

そんなときに出会ったのが思わず膝を打った考えである。

怒られるということの意味変だ。

 

怒られることを意味変する。積極的誤解!

味変はよく聞くけど、意味変って何?という方や、ジミヘンはよく聞くけど、意味変って何?という方は、膝を打つ準備をしていただきたい。

 

意味変とは意味を変える、言葉の定義を変えるのである。

つまりは、積極的誤解

 

まず、怒られるのが嫌な人は怒られている=攻撃されていると捉えるのである。

人格批判、能力批判、そういう風に捉える。

批判や攻撃されていると考えるのだから嫌に気持ちになり、凹み、逆に憤るのも当然だ。

 

ではどのように意味変すればいいか?

 

答えは怒られるというのは攻撃ではなく、自分のことを思っての行動だと意味変する。

 

自分が足りない箇所を指摘してくれているのだ。

本当に嫌いな人間にであれば指摘はしない。

理由は面倒だからだ。

怒られ、悪いところを修正するというのは明らかにプラスになる。

プラスになることを嫌いな人にはしない。

成長しないように放置する。

 

あなたもそうではないか?

怒って指摘するのは結構体力がいる。

なのでこいつはもうどうしようもないなと思えば、怒ることはやめるのではないか。

 

そう怒られた時は期待されている、またはアドバイスしてくれていると考える、もっというと味方であると考える。

 

相手は敵ではない。

 

そう考えたら大分仕事が気楽になった。

 

あなたも、もし同じであれば意味変をお勧めしたい。

 

ちなみに怒るという感情は困っている、という気持ちから起こるらしい。

なので、怒っている人には、きっと僕を後継者にしたいが、後継にするには不足するところがあるので困っているのだ、と考えるのがよさそうだ!

 

ちなみに過去に感情的になってしまう人への話を書いた記事はこちら。

精神医 水島広子さんの本をもとに怒りについてブログに書いているので、ご興味のある方は、こちらもお読みください。

the-ark.hatenablog.jp

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変化を面倒と思わない気持ちのトレーニング法

新しいことをやろう

あなたは変化に強いでしょうか?

それとも変化することを面倒と思うタイプでしょうか?

 

基本的に人間は新しいもの=変化を嫌います。

なので、変化することが面倒くさいと思う人の方が多数派であるはずです。

 

しかし、ビジネスパーソンならば、変化への対応は否が応でも求められますし、今やコロナで世界が一変している状況。

変化への対応は、今まで以上に求められます。

ダーウィンの進化論でも、強い人が生き残るのではなく変化に対応できたものが生き残るとされており、これからの時代変化に対応できる能力を持つものが求められます。

 

しかしながら、現実問題として変化に強い人、弱い人がいるのは確かです。流動性知性という問題解決能力の差もあると思いますが、気持ちの問題の面もあると思います。

 

つまり新しいものに対して面倒だと反射的に思ってしまう人です。新しいことが発生すると面倒くさいという気持ちが頭を占めて、考えるのが億劫になるということです。考えるのが億劫な人が仕事でよい結果を残せるわけがありません。

この変化でマイナスの気持ちを生ませない、変化に慣れるためにはどうすればいいでしょうか?

 

その精神鍛錬方法について、オンデーズというメガネショップの田中社長が、ホリエモンとの対談の中で、お話しされていたのが僕の認識と違ったので紹介します。

 

田中社長が言うには、毎日の生活で必ず違うことをするようにするのが、変化に対する耐性を鍛えるよいそうです。

例えば毎日違うご飯を食べる、違う方法で会社に行く、違う飲み物を飲む、といった本当に小さな変化でオッケーだそうです。

そうすると、変化することに対しての拒否反応が小さくなるそうです。

 

皆さんはどう思われますか?

実は僕は毎日同じ昼飯にしています。

考えるのが面倒なため、毎日かけそばといなり寿司と決めていて、昼ごはんを考える時間をなくしていました。

 

これはスティーブジョブスやザッカーバーグが毎日同じ服を着るのと同じ理由で判断疲労を防ぐためでした。

判断疲労とは、判断するために精神がすり減るというもので、人間が一日に判断できる量というのはきまっているそうです。

なので、判断回数を減らして精神がすり減らないようにして、一日元気に仕事をすることを意識していましたが、田中社長の説は真逆です。

 

しかし田中社長は結果を残されている方であり、一方で判断疲労も信頼性が高い説なので、

この反対の意見は両方とも真実に見えてしまいます。

両方が成立したかつ矛盾しない場合というのはどう言うことでしょうか?

 

その答えは、変化に対してポジティブなイメージを持っている人は、既に変化に対して億劫にならないので、日常を変化させで鍛錬する必要はありません。

寧ろ、判断疲労をさせないために判断する回数を減らすように注意すべきです。

 

逆に、変化に対してネガティブイメージの人は変化に対するポジティブなイメージをもつために変化による成功体験を積む必要があります。

 

新しい飲み物飲んだらめちゃくちゃ美味しかった、など。

 

物事に取り掛かるときのやる気の根っことなるものに自己肯定感というものがあります。

 

これは自分ならやれるという、自信と似たものであり自己肯定感を高めるには成功体験を積む必要があるようです。

 

ちなみに、休日を充実させる唯一の方法は、ゆっくり休むのではなくて、これまで経験したことがない新しい経験をすることが大事だそうです。なので、変化を面倒と思わないことは、精神を癒すためにもとても大事なことなようです。